第十二話:ブラックバス

 

 

ソファーの上に寝かされて、私の上に乗る男はフェイクファーのジャケットを脱ぎ捨てた。

 

「真神? 君は覚えているかな? 五年前を?」

 

――――五年前・・・・・・・・・そうは言っても、私が覚えているのは私の父が、仕事中の事故で死んでしまったこと。その六ヵ月後に続いて仁さんが亡くなったこと。そして、誠が荒れていたこと。

 

「まぁ、それはいい。それよりも戸崎に渡した手紙は受け取ってくれたかな?」

 

 ――――アキラにはいい迷惑だ。何てアナログなセンス。だからと言って、デジタルで送られても迷惑だけど。

 

「手紙に書いてある通りだよ。俺は君が好きなんだ」

 

 私はあなたが一番、嫌いだ。

 言っていることはさも告白。でも、下を剥ぎ取り、シャツを引き裂いて下着姿の私を見て息を荒くしながら頬に舌を這わせる。

頭が悪すぎる――――気持ちが悪い。吐き気がする。身体が毒の性で動かない。

朦朧とする脳は、侮蔑と悔しさを込めた単語の羅列を打ち出し続けるだけで無力。冷静なのか混乱なのかも把握できない。

 

「もう我慢の限界なんだ」

 

 私の下着に手を掛けようとした瞬間、ドアがクレーン車に殴り飛ばされたようにぶっ飛び、ソファーを横切り、壁へと激突して砕け散った。

鼓膜の奥に耳鳴りがする。

浅生は舌打ちして破壊された戸口へ視線を向ける。私もその方向へ霞む視界と、重たい瞼を懸命に開いた。

荒い呼吸。前髪が汗で額に張り付いている。シャツは腹の部分と、両肩が裂けていた。呼吸を整えもせず、私の姿を見窺う誠がいた。

 

「お前」

 

浅生の人工的な歯軋りが響く。

 

「何のようだ?」

 

埃を舞いあがるその中、険しい憤怒の形相で浅生を睨む。

 

「何の真似だ」

 

嵐の前触れのような静かな声音の誠。しかし、一拍の刹那で静寂は木っ端となって崩壊する。

 

「何の真似だって訊いてんだよ!」

 

天井と床に亀裂が疾駆、埃がさらに舞い、鼓膜が破れるほどの怒声。しかし、浅生は余裕があるのか、指で耳掃除をしながら失笑する。愚か者特有の不遜な態度。

中指を立て、「何ってナニを突っ込むに決まってんだろうが? あと二時間くらい消えてい」ろ、と言おうとしていたのだろう。

それか、卑猥なセリフをさらに続けるつもりだったのだろう。下から見上げていた私の眼に飛び込んできたのは、神出鬼没の右ストレート。何時の間にか浅生に近付いていたのか、朦朧とするためか気配すら読めない。

頬を深々と喰い込んだ拳の威力は、筆舌(ひつぜつ)の意味を無くす。

ソファーから引き剥がされた浅生の身体は、先ほどまで誠がいた戸口を抜け、さらに壁を貫通して消え去った。老朽の廃ビルを震動させ、天井からと埃が粉雪のように落ちる。

 誠は戸口から視線をすぐに、私へ移した。恥ずかしい。下着だけの姿は小学生以来。

 

「一応」そう前置きして誠はロングTシャツを脱ぐ。分厚い胸の筋肉。隆起する肩の筋肉。一直線に割れた腹筋。こんな場面、危機一髪の状況。でも不謹慎にも、期待してドキドキしてしまう。

 

「ないよりましだから、着ていろよ」

 

ソファーの横になっている私の身体に掛けてくれる。その仕草と声音は、さきほど剥き出しの怒りを見せた人物とは思えないほど。

そして、戸口を射抜くように睨んで歩を進める。私は腹筋と背骨に鞭打って、何とか上半身を起こした。

 辛うじて見えた。体脂肪一桁の背中に刻まれた魔法陣の刺青。一番端の円が外れ、その隣にある六個目の円も外れかけていた。それだけ確認して私は瞼を安心して、閉じることにする。次に眼を開ける頃には全てに決着がついている事だろう。

 

 

 

廃ビルの階段をおりている最中、背筋を直撃する寒気。血反吐で培った直感のまま階段の終わりへと向けた。

次の瞬間には怒声が響く。

階段が震え、老朽しているとはいえコンクリートの壁に亀裂が疾駆しただけではない。

精神、魂にまで響く魔力。その衝動を翼で防ぐ神の反逆者。雷を纏う十二枚の翼を広げ、わたしを守護する。

 

「今のは――――」

 

 翼に包まれたまま、すぐに放たれた方角へ視線を向ける。

方向性もない力だ。しかし、背筋に走る寒気。わたしが使役している闇の貴公子も感じているのか、視線を階段の先へ向ける。その先にいるものを『脅威』と判断して。

 わたしの足元にも及ばない魔力。だが、計り知れない存在感。

 

「彼の?」

 

 浅生の可能性は低い。完全な現顕が出来たとしても、手の内を知り尽くしているため苦戦する理由がない。そう考えると、自然にさきほどこの廃ビルに入った人物となる。魔王の構成(マテリアル)を解き、気配を殺しつつ駆け足で階段をおりて廊下へ出た時だった。弾丸の速度で人が回転しながら、コンクリーの壁をぶち抜いった。

 

「ワオ?」

 

口笛を噴きそうになったが、懸命に抑えた。破壊された戸口から人が来る気配に、わたしは廊下の影へと隠れることにする。

 現れたのは予想通り誠だ。が・・・・・・・・・・・・何故、上半身裸? それにしても・・・・・・・・・何、あの筋肉は? そんなとんでもない筋肉がシャツの中に納まっているなんて、誰も予想できない。準備も無しに見るには、心臓に悪すぎる。何より、顔とその身体のギャップは天地よりも差がある。

心中のみに留めるため、口を両手で塞ぐ。パニックになる心を静めるために深呼吸しつつ、改めて廊下の影から、そっと覗く。

胸は分厚く引き締まり、肩の筋肉もがっしりしている。完璧な逆三角形。硬そうな腹筋の凹凸・・・・・・・・・・・と、そこまで誠の上半身を食い入るように見ていたことに気付き、思いっきり頭を振る。

一七歳のわたしにはすごい刺激だ。ダヴィンチの彫刻くらい、今度デッサンくらいはできる自信が付いた。しかし魔術師としての眼から見て、その肉体から発する微細な魔力に、注意深く観察する。

その頃に誠はわたしへ背中を向けた格好になった。おいしいタイミングなのか、それとも最悪のタイミングなのか、どう言えばいいか悩みどころ。

わたしはスケベではないと、言い訳しながらも暫時舐め回すように見てしまう・・・・・・・・・・・・鋼の繊維で形成された広い背中に、吐息が漏れそうになる。だが、鋼鉄の背筋に刻み込まれた刺青を見て、驚愕を押さえ込むように息を呑む。

魔法陣だ。それも七段階の封印。一つ目が解呪と二つ目は解呪寸前。一つ一つの封印は達人級(アデプトクラス)を超えている。認めよう。これは被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)だ。大魔術師が施した秘儀中の秘儀。さらに腹が立つのは、わたしでは解析不可能という点。

聖堂、連盟、暴力世界、そして鬼門街を含めると、たった六人しか存在しない大魔術師。そんな自分よりも優れた魔術師による秘儀を見て、悔しさに歯軋りしそうになった。

 

「出て来やがれ。コソコソすんじゃねぇよ」

 

誠の鋭い声音に、背筋が瞬間冷凍した。身体は指一つ動けないほど石化する。

気配を絶っているわたしに気付いたのか?

壁に深く身体を預け、心臓の鼓動を押さえ込むために胸に手を置いて、静かに呼吸を止める。一秒間が恐ろしく長い。

 

(何で、わたしがコソコソしなければならないのよ?)

 

そんな胸中の疑問はすぐ答えが出た。

わたしの目的を知ったら、彼は必ずわたしを止める。いや、それは違う。彼なら、逆に協力してくれるだろう。今まで、わたしがしてきた手段を選ばない方法だけは取らずに。そう、手段を選ばない方法をわたしはとっている真っ最中だ。誠はきっと、わたしは軽蔑するだろう。

今更、一人嫌われようと、どうでもいいのに彼だけは別らしい。

 

「クッククク」

 

嫌らしい、狂った笑い声がコンクリートに反響しつつ、応える。

わたしの不安は杞憂(きゆう)だった。酸素が恋しく、呼吸を再開した瞬間だった。

誠の天井から貫く一本の毒槍。側転して直撃は躱すが、肩に掠る。しかし、一撃では終わらない。

 

「ハッハァハァハァハァ!」

 

 狂った笑声から哄笑へと変り、弾丸の如く轟音を響かせて迫る。

毒槍の雨を、誠はカポエラを踊るように躱し続ける。それも常人の二桁は超えるスピードで。

飛燕の速度をゆうに越える槍の一閃。

それら全てをハイスピードで躱し続ける誠。

天井を破壊し、床を穿つ槍の豪雨を躱し続けるのはさすがと言ってもいい。だが、浅生はバカではない。わたしが選んだ『噛ませ犬』は、そこそこの知恵は持っている。手段を選ばない汚さと狡猾さもある。

一六ビートのダンスは佳境に入る。バク宙して綺麗な着地をみせたが、誠の背に壁がブーイングのように立ちはだかる。わたしがいる廊下の反対側にある端。行き止まりだ。浅生はこれを狙っていたのだろう。一際甲高い哄笑が響いた。そして、会心の一閃を放とうとする呼気が響く。

乾坤一擲の一閃は天井を貫通し、斜線を描く毒槍が誠の顔面へ直撃。

ぶち当たる大音響は肉を裂くものではない。むしろ鋼が激突する甲高い金属音。

静寂が廊下を占領していく。

上の階から攻撃を仕掛けた浅生も、槍を戻すこともせず止まっている。

誠も仁王立ちして動かないまま。

廊下の影に隠れながらも、わたしは誠を魅入る。吐息が漏れてしまうほど、雄々しいその姿にゾクゾクしていた。陶然とさせるその『魔神』に、目を奪われた。

『暗殺者』、『拷問者』、『毒手』、『結界師』、『服従者』、『鬼殺し』というあだ名を冠する退魔家。

禍神(まがつがみ)の血を象徴する退魔家。最悪の退魔師。その血を露にし、()()な双眸をギラギラさせて獲物の放った槍を噛み止めていた。

怒髪を形態した数本の角へと変化する。逞しい首と肩の筋肉からは、鋭いスパイクが音を立てて隆起した。

著しく人の筋肉繊維を超え、筋肉の巨大化に合わせて骨格自体が再構築する。ジィーンズの膝が破れ、二メートル近い肉体となる。

拳骨、腕、脇腹、胸に甲殻というには金属的な――――そう、スダッズだ。それらが誠の身体に浮き上がる。まるでパンクロックのファッションを、ピアッシングしたかのように変わっていく。

苦痛の呻き声が天井越しにでも届く。搾り出すような浅生の悲鳴。

毒槍は現顕する際、己の腕で構成させるため痛みはダイレクトに伝わるのだろう。

槍と化している腕が、右へ左へと動作を繰り返し、時には引っ張って誠の口腔から逃れようとする。だが、誠は顎に力を込め、万力をもって首に筋を浮かび上がらせた。

欲深な釣り人と、激怒した大魚の格闘。

そんな謎のタイトルが頭によぎる。だが、そのタイトルは言い得て妙と納得するのに時間は掛からなかった。容易く大物役の誠に軍配があがったからだ。

幾重にも穴だらけになっていた床の性ともいえないが、やはりありえない。

首を大きく振り、釣り人役の浅生が、轟音をお供に天井を崩壊。引きずり出され、誠とわたしが立っている床に、盛大なディープキスをする浅生。

 

「シャァァァ!」

 

 槍を吐き捨てた誠が雄叫びをあげて肉迫する。しかし、腐っていても七大魔王に連なる魂と同調する者。浅生はその魔王の魂を、素養と素質がものをいう獣化現象を持って、それそのものとなる『降魔者』である。油断すれば野良犬も牙を剥く。

 わたしの予想通り、地面に伏していた浅生は左手を一振りして三角旗を現顕する。

誠の視界を防ぎ、そのタイミングを逃さずに立ち上がる。誠が三角旗を剥ぎ取って、視界を取り戻しだが、遅い。

浅生は胸囲が膨れ上がり、頬が裂けるほど口を開けた。

その口腔から業火を誠に放出する。散弾(ショット・シェル)のように広がる火柱。ぶち当たった誠の身体が壁を貫き、馬に蹴られたように外へと吹き飛ばされていった。

 

 

 

廃ビル郡。廃墟区。色々と名前が付けられているアーケードの裏路地。

ガートス家のモデル都市計画は、確かにこの鬼門街を一躍有名にもなったが、その過酷な企業戦争に生き残るのは並大抵ではない。大企業の失敗した廃ビルは墓標のように陳列するのもこの黄紋町の顔である。

この街で生き残れるのは『強い者』。企業だろうが、魔術師だろうが。その夢破れた灰色の一角に、魔術の世界でトップクラスに入る霊児とマジョ子が佇んでいた。

埃の舞う風。マジョ子の喉から黒ミサの一節が流れる。

 

 

【アルファ、オメガ、エロイ、エロエ、エロイム、ザバホット、エリオン、サディ――――】

 

 

 人語と思えない発音に従うように、マジョ子の影から小人が浮き上がる。

 

 

【エロイ、エロイム、エロエ、ザバホット、エリオン、エサルキエ、アドナイ、ヤー、テトラグラマントン、サディの御名によって】

 

 

肩に乗る山羊の顔を持つ二匹の小人が、胸に手を添えて芝居がかった一礼をする。

 

「『生意気な後輩を探せ』、『そのバカ兄貴を見つけろ』、『敵は報告』だ」

 

 マジョ子の使役する悪魔は『大いなる貴公子』、『サバトの山羊』とも呼ばれるバフォメット。

常に反抗的な悪魔をマジョ子は、命令を三分割にして従属している。

一段階でも相当な効果を持つが、同じ指令を重複するとその効果は二倍になる。三つとも同じ命令にすれば三倍の効力を発揮する。が、逆に三つ以上の指令を出せないため、情報収集能力は虚弱とはいえ、数に勝る美殊には及ばない。

 

【キャシャシャシャ!】

 

二匹の不細工な小人は、笑声を上げながら上をさす。

 

「うん?」

 

 怪訝に二人は顔を上げると、ビルの三階。春の青空と陽気な太陽。その和みそうな春の一風景を、爆発音と緋色のペンキでぶちまけられた。

凄まじい火柱の噴出にぶっ飛ぶ誠が隣のビルへ突っ込んでいく。

壁の残骸が盛大に降り注ぐのを避けながら、マジョ子と霊児はもう一度顔を上げる。人影が隣の廃ビルへ追撃すべく、飛び移る。

一拍の間を置いてから、強烈な破壊の咆哮が高らかに鳴り響く。

 

「何だあれ?」

 

廃ビルが震動するのを見窺いながら、マジョ子は使い魔へ問い掛ける。

 

【キャシャァシャッシャ】

 

「チッ! 部長、今のは敵と誠です」

 

「まぁ、見ていたから解る」

 

溜息混じりに崩壊した二つの穴を見上げていた霊児だが、鋭い眼光へとすぐに変化させた。

 

「マジョ子はミコっちゃんを頼む」

 

頷くマジョ子を見て、槍兵と誠のいる廃ビルへと走り出す霊児。

 マジョ子もすぐさま行動を開始し、使い魔に新たな指令をくだす。


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